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東京地方裁判所 平成8年(ワ)24181号 判決

原告

第一製薬株式会

右代表者代表取締役

鈴木正

右訴訟代理人弁護士

品川澄雄

吉利靖雄

右訴訟復代理人弁護士

滝井朋子

被告

シオノケミカル株式会社

右代表者代表取締役

塩野谷貫一

被告

長生堂製薬株式会社

右代表者代表取締役

播磨久明

右両名訴訟代理人弁護士

脇田輝次

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告らは、別紙目録記載の物質を有効成分とする医薬品を製造し、該医薬品を販売してはならない。

二  被告らは、被告らの所有する別紙目録記載の物質及びこれを有効成分とする医薬品を廃棄せよ。

三  被告らは、厚生省に対し、被告らの申請によってなされた薬事法に基づく別紙目録記載の物質を有効成分とする医薬品に対する製造承認につき製造承認の整理届を提出せよ。

四  被告らは、厚生省に対し、前項の医薬品について健康保険法に基づく薬価基準からの削除願を提出せよ。

五  被告シオノケミカル株式会社は、原告に対し、金八八二八万九六〇〇円及びこれに対する平成九年七月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

六  被告長生堂製薬株式会社は、原告に対し、金八八二八万九六〇〇円及びこれに対する平成九年七月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、存続期間の満了した医薬品についての特許権を有していた原告が、①被告らにおいて医薬品の製造承認を得るため存続期間満了前になした試験が原告の特許権を侵害する行為である、②被告らのなした右製造承認の申請の審査に当たり、不正に取得された原告の営業秘密が使用された、③被告らが原告の発明に対する独占的占有を侵奪して不当な利得を得た、として、①特許権妨害に対する妨害排除請求権に基づき、②不正競争防止法三条一項、二項に基づき、③民法七〇四条に基づき、侵害行為の差止め、侵害物件の廃棄、製造承認の整理届の提出及び薬価基準からの削除願の提出を求めるほか、民法七〇九条に基づき損害賠償を求める事案である。

二  基礎となる事実

1  原告の特許権

原告は、次の特許権(以下「本件特許権」といい、その発明を「本件特許発明」という。)を有していた。

出願年月日 昭和五一年一月一日(特願昭五一―一九四号)

出願公告年月日 昭和五六年七月二七日(特公昭五六―三二二九六号)

登録年月日 昭和五七年三月二三日(特許第一〇八九八二〇号)

発明の名称 潰瘍治療剤

特許請求の範囲 本判決添付の特許公報該当欄記載のとおり

存続期間満了 平成八年一月一日

2  原告の実施

(一) 別紙目録の化学構造式をもって示される物質は、本件特許発明の特許請求の範囲第一項に記載された一般式において、Qとして置換フエニル基を選び、置換フエニル基としてP―カルボキシ低級アルキルフエニル基に属するP―カルボキシエチルフエニル基を選んだ構造を有する「4'―(2―カルボキシエチル)―フエニル・トランス―4―アミノメチルシクロヘキサンカルボキシレート」の塩酸塩であり、一般名を「塩酸セトラキサート」と称する化合物(以下、一般名を使用する。)である。

(二) 原告は、塩酸セトラキサートを有効成分とする医薬品である胃炎・胃潰瘍治療剤(商品名を「ノイエルカプセル、「ノイエルS」といい、以下「原告製剤」という。)を製造、販売している。

3  被告らの行為

(一) 被告シオノケミカル株式会社(以下「被告シオノケミカル」という。)は、本件特許権の存続期間満了後に塩酸セトラキサートを有効成分とする医薬品である胃炎・胃潰瘍治療剤を「シオメイスンカプセル」、「シオメイスン細粒」なる商品名で製造、販売するため、平成三年一月一八日、薬事法一四条所定の医薬品製造承認を受け、平成八年七月五日、右各製剤につき健康保険法に基づく薬価基準の収載を取得した。

(二) 被告長生堂製薬株式会社(以下「被告長生堂製薬」という。)は、本件特許権の存続期間満了後に塩酸セトラキサートを有効成分とする医薬品である胃炎・胃潰瘍治療剤を「アミエルミンカプセル」、「アミエルミン細粒」なる商品名で製造、販売するため、「アミエルミンカプセル」については昭和六三年二月一六日、「アミエルミン細粒」については平成元年一月二三日、薬事法一四条所定の医薬品製造承認を受け、平成八年七月五日、右各製剤につき健康保険法に基づく薬価基準の収載を取得した。

(三) 被告らが医薬品製造承認の申請をするにあたっては、以下の資料の添付が必要である(薬事法一四条三項、薬事法施行規則一八条の三、昭和五五年五月三〇日薬発第六九八号薬務局長通知)。

ア 規格及び試験方法に関する資料(物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料の一つ)

イ 加速試験に関する資料(安定性に関する資料の一つ)

ウ 生物学的同等性に関する資料(吸収、分布、代謝及び排泄に関する資料の一つ)

(四) 被告らは、右(三)の各資料を得るために塩酸セトラキサートを製造し、これを有効成分とする医薬品を製造し、これを使用して各種試験を行った。

(五) 被告らは、本件特許権の存続期間満了後、塩酸セトラキサートを有効成分とする胃炎・胃潰瘍治療剤(以下「被告製剤」という。)の製造、販売を行っている。

三  争点

1  特許権妨害に対する妨害排除請求権に基づく請求について

本件特許権の存続期間満了後に製造販売する被告製剤につき薬事法所定の製造承認の申請に添付すべき資料を得るため、存続期間中に行った各種試験における本件特許発明にかかる塩酸セトラキサート製剤の製造、使用は本件特許権を侵害するか。

また、被告らの右行為が違法であるとして、本件特許権の存続期間満了後に、特許権妨害に対する妨害排除請求権に基づき侵害行為の差止め、侵害物件の廃棄、製造承認の整理届の提出及び薬価基準からの削除願の提出を請求することができるか。

2  不正競争防止法に基づく請求について

被告らは、被告製剤の製造承認申請をすることにより不正競争防止法二条一項五号所定の営業秘密の使用を行ったといえるか。

3  不当利益返還請求について

被告らの行為は、原告の本件特許発明に対する独占的占有を侵奪する不当利益に当たるか。

4  損害の有無及び額

四  争点に関する当事者の主張

1  争点1について

(一) 原告の主張

(1) 本件特許発明の実施品である被告製剤の製造承認の申請の添付すべき資料を得るためには、被告製剤を製造し、使用して各種試験を行うことが必要であるが、本件特許権の存続期間中にそのような試験を行うことはもっぱら医薬品の販売のみを目的とし、技術の進歩を目的としない試験であり、特許法六九条所定の試験研究には該当せず、本件特許権の侵害である。

(2) 被告らが適法に製造承認の申請をするためには、本件特許権の存続期間満了後に、添付すべき資料を得るための各種試験を開始し、その結果が得られた後、初めて右製造承認の申請を行わなければならないが、被告製剤のようないわゆる後発医薬品の場合、右試験の開始から薬価基準の収載まで少なくとも二七か月間を要する。

したがって、医薬品の特許権者である原告は、現行法体系全体の中から生じてくる法的利益として、本件特許権の存続期間満了後も更に二七か月間は、本件特許発明の実施品である医薬品を独占的に製造販売することのできる法律上の地位を有する。

(3) 特許権は所有権に準ずる物権的権利であるから、その妨害に対しては妨害排除請求権を生ずる。被告らが、本件特許権の侵害行為である試験の結果を資料としてなした製造承認の申請、製造承認の取得及びこれに基づく被告製剤の製造、販売は、本件特許権の侵害行為である試験に起因した本件特許権の妨害行為である。

したがって、原告が、本件特許権の存続期間中に特許法一〇〇条に基づき右妨害行為に対する妨害排除請求権を有することは当然であるが、本件特許権の存続期間満了後も一般法である民法の理念に従い、物権的請求権である妨害排除請求権が、妨害状態が継続する限り、依然として存続するものと解するべきである。

被告らの妨害行為は、原告が存続期間満了後も少なくとも二七か月間享有できた本件特許発明の実施品を独占的に製造、販売しうる法的地位を害するものであるから、存続期間満了後も少なくとも二七か月間継続しており、これに対する妨害排除請求権も存続している。

(4) また、特許権の侵害、妨害の排除を求める訴えにおいては、貴重な技術を初めて社会に開示した特許権者の利益が重視されるべきことは当然として、さらに、産業的取引社会の公正な秩序の回復という視点から、この貴重な新規技術を開示の代償として、決して長期にすぎるとはいえない期間に限って存続を許される特許権が、欠けることなく尊重され守られなければならない。

この観点から、特許権侵害とその結果である妨害の排除にあたっては、特許権侵害がなされなかったであろう状態、換言すれば、特許権が尊重されていたとすれば実現していたであろう状態が回復されることが肝要である。

(5) よって、原告は、妨害排除請求権に基づき、被告製剤を製造し、販売することの差止め、塩酸セトラキサート及び被告製剤の廃棄、製造承認の整理届の提出及び薬価基準からの削除願の提出を請求するとともに、民法七〇九条に基づき損害賠償を請求する。

(二) 被告らの主張

(1) 特許法六九条一項が、「試験又は研究」を特定の目的のものに限定しておらず、広く一般的に特許権の効力範囲外としていることは、特許権者の利益と公衆の利益を勘案した上で、特許権者の経済的利益を害さない限りにおいて広く試験、研究の自由を認める趣意と解するべきである。

被告らの行った医療品製造承認申請に伴う試験行為は、国民の安全性を守るとの見地から、法律上要求される極めて公益性の高いものであり、一方、その試験は原告に対し実質的に何らの損害も与えることのないものである。したがって、その公共性の観点からしても、医薬品製造承認申請のための試験行為は、特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当する。

(2) 本件特許権は存続期間満了により消滅しており、特許権が消滅した以上、何人も自由にその特許発明を実施することができる。

原告の請求は、特許権の効力を特許権の消滅後にも及ぼそうとするもので、一義的に明確であるべき特許権の存続期間を実質的に延長させるに等しく、許されないものである。

(3) 原告が妨害状態の発生の根拠として主張する特許権の存続期間満了後の利益とは、特許権に基づいて発生する法的利益ではなく、薬事法に基づく医薬品製造承認申請制度が、後発医薬品の製造承認の申請のために一定の試験を必要としていることによって、原告がたまたま得ている事実上の利益に過ぎない。

(4) なお、被告らは、被告製剤の製造承認申請に添付する資料を得るため各種試験を行ったが、試験に供する製剤には胃潰瘍治療剤としての用途が表示されておらず、試験に際しで胃潰瘍の疾患の患者に投与されるものでもなく、用途特許である本件特許権の侵害を構成するものでない。

2  争点2について

(一) 原告の主張

(1) 原告が、原告製剤の製造販売のため薬事法一四条一項、四項に基づき厚生大臣に提出した製造承認申請に添付した資料である「塩酸セトラキサート製剤の臨床試験を含む各種試験結果」(以下「本件資料」という。)は、不正競争防止法二条四項の定める営業秘密に該当する。

厚生大臣が本件資料を原告に対する製造承認手続以外の用途に流用することは営業秘密を不正な目的下におくことになるものであり、不正競争防止法二条一項五号の営業秘密の不正取得行為に該当する。

(2) 被告らはそのことを熟知しながら、被告製剤の製造承認申請をしたもので、被告製剤と原告製剤との生物学的同等性を確認したうえ、厚生大臣をして、本件資料を被告製剤の製造承認申請の審査に流用せしめた行為は、不正競争防止法二条一項五号所定の営業秘密の使用行為に該当する。

(3) 原告は、被告らの右不正競争行為により営業上の利益を侵害された。

(4) よって、原告は不正競争防止法三条一項に基づき、被告らが被告製剤を製造、販売することの差止め、並びに同条二項に基づき、侵害の停止又は予防に必要な行為として、塩酸セトラキサート及び被告製剤の廃棄、製造承認の整理届の提出及び薬価基準からの削除願の提出を請求する。

(二) 被告らの主張

被告らは、被告製剤の製造承認申請の審査手続において、厚生大臣をして本件資料を流用させるような行為は一切していない。また、被告らの右審査手続において、厚生省の審査官が本件資料を使用しているか否かも全く知らない。

被告製剤の製造承認申請に添付が必要な生物学的同等性に関する試験において、被告らは、市販されている原告製剤を購入し、分析して先発品との対比を行っており、本件資料を流用する必要はない。

3  争点3について

(一) 原告の主張

(1) 原告は、本件特許発明が完成すると同時にこれに対する独占的な占有を取得し、本件特許権の存続期間中は本件特許発明に対する法的な独占的占有権限を与えられ、独占的占有を継続してきた。

被告らは、被告製剤の製造承認申請に添付すべき資料を得る目的で行った各種試験において塩酸セトラキサート製剤を製造し、使用することにより、少なくとも本件特許権存続期間満了前の二七か月間にわたり、悪意で、法律上の原因なく、他人の財産である原告の本件特許発明に対する独占的占有を侵奪したものであり、これにより、原告に右二七か月間の独占的占有喪失という損失を生ぜしめ、その結果、製造承認、薬価基準収載とこれに基づく被告製剤の製造販売可能な地位という利益を受け、もって不当な利得をなしたものである。

(2) したがって、被告らは、原告に対し悪意の不当利得者としてすべての利得を返還すべきである。この場合に被告らが返還すべき利得とは、違法な占有侵奪がなされなければ生じていたはずの状態を再現すること、すなわち、右占有侵奪によって取得した製造承認及び薬価基準収載手続を白紙に戻し、被告らが被告製剤を製造販売することのできない地位に戻ることである。

(3) よって、原告は、民法七〇四条に基づき、被告らが二七か月間被告製剤を製造し、販売することの差止め、塩酸セトラキサート及び被告製剤の廃棄、製造承認の整理届の提出及び薬価基準からの削除願の提出を請求する。

(二) 被告らの主張

(1) 原告の主張する不当利得は、不当利得成立の要件及び返還義務の範囲等に関して独自の見解を展開するものであって失当である。

原告は、不当利得の成立要件である被告らの利得を被告らの「被告製剤の製造販売可能な地位」とし、これに対応する原告の損失を「発明に対する独占的占有の喪失」と構成しているが、発明占有の喪失とは、発明者が発明を実施できない状態の発生であるところ、被告らの「被告製剤の製造販売可能な地位」の取得は、原告の本件特許発明の実施を排除するものではないし、厚生省が医薬品メーカーである被告らに付与した薬事法上の地位に過ぎず、発明の実施そのものではないから、原告の本件特許発明の占有を侵奪するものではない。

(2) 本件特許権は存続期間の満了により消滅しており、原告は保護されるべき特許発明の独占的占有権を有していないのであるから、本件特許権の消滅後、被告らが本件特許発明を実施したからといって、原告の特許発明の独占的占有を侵奪し、原告に損失を与えるということもあり得ない。

4  争点4について

(一) 原告の主張

(1)ア 被告シオノケミカルが「シオメイスンカプセル」の製造承認申請の資料を作成するのに使用された塩酸セトラキサート原末の量は、規格及び試験方法用に140.8キログラム、加速試験用に12.0キログラム、生物学的同等性試験用に0.008キログラムの計152.808キログラムを下回らず、「シオメイスン細粒」の製造承認申請の資料を作成するのに使用された塩酸セトラキサート原末の量は、規格及び試験方法用に70.4キログラム、加速試験用に6.0キログラム、生物学的同等性試験用に0.008キログラムの計76.408キログラムを下回らない。

したがって、被告シオノケミカルが本件特許権の存続期間中に使用した塩酸セトラキサート原末量は合計229.2キログラムを下回らない。

イ 被告シオノケミカルの右使用量を原告製剤の該期の薬価基準(ノイエルカプセルにつき21.90円、ノイエルS(細粒)につき40.40円)で換算すると二四四五万円を下回らない。

ウ 本件特許権の実施料は、原告製剤の該期の薬価基準の二〇パーセントを下回らない。

エ したがって、本件特許権の存続期間満了日までに原告が被告シオノケミカルの特許権侵害によって被った損害額は、前記イ記載の二四四五万円にウ記載の二〇パーセントを乗じた四八九万円を下回らない。

(2)ア 被告シオノケミカルの特許権侵害行為によって作成された製造承認申請がなければ、同被告の塩酸セトラキサート製剤の製造承認は本件特許権の存続期間満了日である平成八年一月一日から起算して二七か月後に漸く取得できるに過ぎない。

したがって、本件特許権の存続期間満了日後といえども平成八年一月一日から起算して二七か月間に被告シオノケミカルの塩酸セトラキサート製剤の販売によって原告が被る損害も特許権侵害によって受けた損害である。

イ 被告シオノケミカルは、本件特許権の存続期間満了後平成九年三月三一日までに、シオメイスンカプセルについては薬価基準(19.50円)で換算すると一億六八三三万三〇〇〇円の、シオメイスン細粒については薬価基準(33.10円)で換算すると二憶一一三三万三〇〇〇円の販売高があり、同年四月一日から同年四月三〇日までに、シオメイスンカプセルについては薬価基準(16.70円)で換算すると一六六六万六〇〇〇円の、シオメイスン細粒については薬価基準(27.40円)で換算すると二〇六六万六〇〇〇円の販売高があったもので、その合計額は四億一六九九万八〇〇〇円となる。

ウ 本件特許権の実施料は、被告シオノケミカルの該期の薬価基準の二〇パーセントを下回らないから、平成八年一月二日から平成九年四月三〇日までに原告が被告シオノケミカルの侵害行為によって被った損害額は、前記イ記載の四億一六九九万八〇〇〇円に二〇パーセントを乗じた八三三九万九六〇〇円となる。

(3) したがって、被告シオノケミカルの原告に対する損害賠償金は、前記(1)エの四八九万円及び(2)ウの八三三九万九六〇〇円の合計八八二八万九六〇〇円となる。

(4) 被告長生堂製薬についても、本件特許権の存続期間中に塩酸セトラキサート製剤の製造承認申請のために必要な資料を作成するのに使用された塩酸セトラキサート原末の量は被告シオノケミカルと同量であり、その期間の本件特許権の実施料は原告製剤の該期の薬価基準の二〇パーセントを下回らない。そして、被告長生堂製薬が、本件特許権の存続期間満了後平成九年四月三〇日までに販売した塩酸セトラキサート製剤「アミエルミンカプセル」及び「アミエルミン細粒」の販売高は、被告シオノケミカルの塩酸セトラキサート製剤の販売高を上回り、本件特許権の実施料は、被告長生堂製薬の該期の薬価基準(被告シオノケミカルと同一価格)の二〇パーセントを下回らない。

したがって、被告長生堂製薬の原告に対する損害賠償金は、前記(3)の四八九万円及び八三三九万九六〇〇円の合計額と同額の八八二八万九六〇〇円を上回る。

(二) 被告らの主張

否認する。

第三  当裁判所の判断

一  争点1(特許権妨害に対する妨害排除請求権に基づく請求)について

1 特許法六九条一項は、「特許権の効力は、試験又は研究のためにする特許発明の実施には、及ばない。」旨を規定する。

特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有し(特許法六八条本文)、特許権は、独占排他権であるから、特許権者の了解なくして特許発明を業として実施することは原則としてできない。他方、特許法の目的が、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する(特許法一条)ことにあることからすれば、独占権である特許権の効力も、特許権者の利益と発明を利用する第三者ないし社会一般の利益との調和を図るという産業政策上の見地から制限されることがある。

そこで、特許法六九条一項は、試験又は研究のためにする特許発明の実施について、特許権の効力が及ばない旨を明らかにしているところ、右法条の立法趣旨は、特許権の効力を試験又は研究のためにする特許発明の実施にまで及ぼしめることは、かえって技術の進歩を阻害し、産業の発達を損なう結果になるため、これを制限すべきであるとの産業政策上の判断によるものと解される。

右のような立法趣旨に鑑みると、特許法六九条一項にいう「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当するか否かについては、特許権者の利益と第三者ないし社会一般の利益の調整を図るという観点からこれを比較考量して決するべきものと解される。

このような観点からみると、技術を改良し、技術を次の階段に進歩させることを目的とする試験又は研究が同条項にいう「試験又は研究」に当たるものであることはいうまでもないが、同条項にいう「試験又は研究」がこのような技術の進歩を目的とする試験又は研究のみに限定されるとすることは相当でない。

したがって、薬事法に基づく後発品の製造承認申請に添付する資料を得る目的で行う試験が、同条項にいう「試験又は研究」に該当するか否かについては、特許法の解釈と薬事法による医薬品製造承認制度の整合性を考慮しつつ、特許権者の利益と第三者ないし社会一般の利益の調整を図るという観点に立って判断すべきものと解される。

2(一) これを本件についてみると、前記認定のとおり、被告らは、原告の本件特許権の存続期間満了後に被告製剤を製造販売するため、医薬品の製造承認申請に必要な資料を得ようとして、塩酸セトラキサートを有効成分とする医薬品を製造したうえ、規格及び試験方法に関する資料、加速試験に関する資料、生物学的同等性に関する資料を得るための各種試験を行い、これによって得た資料を添付して、いわゆる後発品の製造承認を申請し、医薬品製造承認を得たものである。

(二) 医薬品については、薬事法による規制を受けるものであるところ、同法によれば、医薬品等を製造しようとする者は厚生大臣の承認を受けることを要するものであり(同法一二条一項、一三条一項、一四条)、厚生大臣は、医薬品等につき、これを製造しようとする者から申請があったときは、品目ごとにその製造についての承認を与え(同法一四条一項)、その承認は、申請に係る医薬品等の名称、成分、分量、構造、用法、用量、使用方法、効能、効果、性能、副作用等を審査して行う(同条二項)ものとされ、右承認を受けようとする者は、厚生省令で定めるところにより、申請書に臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付して申請しなければならない(同条三項)旨規定されている。

薬事法は、医薬品等の品質、有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うとともに、医療上特にその必要性が高い医薬品等の研究開発の促進のために必要な措置を講ずることにより保健衛生の向上を図ることを目的とする(薬事法一条)ものであり、同法に基づく医薬品の製造承認のための審査は、医薬品の有効性や安全性の確保を目的とする、極めて公益性の強いものであって、その承認申請に添付すべき審査資料を得るため、前記各種試験が要求されるのも、同様に医薬品の有効性や安全性を確保し、国民の保健衛生の向上を図るという目的を達成するためである。

(三) 薬事法が、後発品の製造業者に対し、医薬品製造承認にあたり、前記各種試験の実施及びその資料の添付を求め、審査を行うのは、前記のとおり、医薬品の有効性や安全性を確保し、国民の保健衛生の向上を図るという目的を達成するためであり、後発品が先発品と品質において同等であり、同様の有効性、安全性があることを担保するためであって、当該医薬品にかかる特許権者の独占的地位を保護することを目的とするものではない。

このように、医薬品の製造販売をする際に製造承認を要するのは、安全な医薬品の提供という行政目的に基づくものであり、薬事法の規制は特許法とその目的を異にするものである。また、製造承認が得られるまでにある程度の期間を要するのも、行政上の事務処理に一定の時間がかかるといった事実上の要因によるものであって、特許権者に対する独占権の付与という特許法の趣旨とは全く無関係の結果といわざるを得ない。そして、かかる薬事行政上の取扱いによって、結果的に特許権者が特許期間を延長したのと同様の利益を享受できることがあるとしても、それは右行政上の取扱いによって生じる事実上の利益にすぎず、いわば反射的利益であって、特許法が保護する利益には当たらない。

(四) 他方、特許権の存続期間は法律で定められ(特許法六七条一項)、一定の要件を具備した特許権については存続期間の延長も認められている(同条三項)が、存続期間が経過すれば、何人であっても特許されていた発明を自由に実施することができ、特許権者であった者は、それを差止めることができない。

それは、発明を公開した者に対し、その代償として一定期間、業としてその発明を実施する権利を専有させるが、その期間の経過後は、第三者がその発明を実施することができるものとすることによって、特許権者の利益と一般社会の利益の調和を図り、技術の進歩と産業の発達に寄与するという、特許法の目的を具体化したものである。

仮に、後発品についての医薬品製造承認申請に添付すべき資料を得るための試験が当該医薬品についての特許権の侵害に当たるとして、その特許権の存続期間終了後に試験を開始すべきものとすると、試験期間及び審査に要する期間、特許権者が、特許権の存続期間の終了後もなお、当該発明の実施を独占的に実施できる結果となる。

(五) 被告らは、本件特許権の存続期間満了後に被告製剤を製造販売することを目的としたもので、本件特許権の存続期間中は、前記各種試験によって、収益を得たわけでもなく、特許権者であった原告と直接競業したものでもない。

3 以上認定のとおり、特許権の存続期間満了後に製造販売することを目的として、薬事法に基づきいわゆる後発品の製造承認申請を行うため、右承認申請に添付する資料を得る目的で必要な試験としてされた被告らの行為は、医薬品の有効性や安全性の確保を目的とするものであり、仮に被告らの行為を違法とした場合、本来存続期間が満了して特許権をもはや独占できないはずの特許権者が結果として独占的地位をさらに一定期間享受できることになるが、これは特許法が保護する利益とはいえないうえ、被告らが本件特許権の存続期間中収益を得たり原告と競業していないことも合わせ考えれば、特許法六九条一項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当すると認めるのが相当である。

以上のとおり、被告らの行為は、いずれも特許法六九条一項に規定する「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に該当し、本件特許権の効力は及ばないものというべきである。

4  してみると、医薬品製造承認申請に添付する資料を得る目的でなされた試験の際の被告らの実施行為が本件特許権の侵害であることを前提とする原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。

二  争点2(不正競争防止法に基づく請求)について

1  原告は、原告の製造承認申請に添付した本件資料が不正競争防止法二条四項所定の営業秘密に該当し、被告らが厚生大臣をして、本件資料を被告製剤の製造承認申請の審査に流用せしめた行為は、同法二条一項五号の営業秘密の不正取得行為に当たる旨主張する。

原告は、本件資料が具体的にどのような資料であるかの主張をしないけれども、薬事法一四条三項、同法施行規則一八条の三、昭和五五年五月三〇日薬発第六九八号薬務局長通知によれば、本件資料の内容は、起原又は発見の経緯及び外国における使用状況等に関する資料、物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料、安定性に関する資料、急性毒性、亜急性毒性、慢性毒性、催奇形性その他の毒性に関する資料、薬理作用に関する資料、吸収、分布、代謝、排泄に関する資料及び臨床試験の試験成績に関する資料であるものと認められる。

しかしながら、原告は、本件資料が不正競争防止法二条四項に定める各要件(秘密管理、有用性及び非公知性)を充足する営業秘密に該当することを具体的に主張立証しない。

2 この点はさておくとしても、医薬品等の製造承認の申請に添付すべき資料は、薬事法一四条三項、同法施行規則一八条の三及び前記薬務局長通知によって、承認を受ける医薬品等の有効成分の種類、投与経路、剤型、構造、性能等に応じてそれぞれ具体的に定められているのであり、後発品である被告製剤の製造承認申請に添付すべき資料が、規格及び試験方法に関する資料(物理的化学的性質並びに規格及び試験方法等に関する資料の一つ)、加速試験に関する資料(安定性に関する資料の一つ)及び生物学的同等性に関する資料(吸収、分布、代謝及び排泄に関する資料の一つ)であることは前記認定のとおりである。したがって、被告らとしては、被告製剤が原告製剤と同一の規格を有し、同等の血中濃度の推移を示すこと及び安定性を有することを確認する必要があるところ、被告製剤と対照すべき原告製剤が市販されており、原告製剤に関する物性、組成、安定性等に関する情報が公表されていることからすれば、被告らが本件資料を不正に取得したということはできない。

また、厚生大臣が被告製剤の製造承認申請を審査するにあたり、本件資料を流用したことを認めるに足りる証拠はない。さらに、本件資料のように先発品の製造承認の申請に添付すべき資料であっても後発品の製造承認の申請には添付を要しない資料があることは薬事法等の当然に予定するところであるから、仮に被告製剤の製造承認申請の審査において本件資料が使用されることがあるとしても、そのことは製造承認申請に添付すべき資料を右のとおり具体的に定めている薬事法等が当然に予定していることというべきであり、これをもって被告らの行為が営業秘密の不正取得にあたるということはできない。

3  以上のとおり、原告の不正競争防止法に基づく請求は、理由がない。

三  争点3(不当利得返還請求権に基づく請求)について

原告は、本件特許権の存在期間中は本件特許発明に対する法的な独占的占有権限を有するところ、被告らは、少なくとも本件特許権存続期間満了前の二七か月間にわたり、法律上の原因なく、他人の財産である原告の本件特許発明に対する独占的占有を侵奪した旨主張する。

原告は、「特許発明に対する法的な独占的占有権限」なる概念を用いるが、少なくとも特許権の存続期間中は、それが、特許権者が業として特許発明の実施をする権利を専有する(特許法六八条)ことと表裏の関係にあるものと解さざるを得ない。すなわち、発明が特許権として登録されれば、当該特許権は、存続期間中業として特許発明を実施する権利を専有するという効力を有する以上、特許権の存続期間中は、特許発明そのものについて、登録された特許権と別個にあるいは独立して特許権の効力を超える効力を認める必要はない。このことは特許を受けていない発明が特許権の効力以上の効力を有し得ないことからすれば明らかである。

したがって、例えは「業として」行われない特許発明の実施が「特許発明に対する法的な独占的占有権限」を侵奪するとはいえないであろうし、特許発明の実施に特許権の効力が及ばないものとして列挙されている特許法六九条所定の行為も原告の主張する「特許発明に対する法的な独占的占有権限」の侵奪にはあたらないといわざるを得ない。

そして、被告らが製造承認申請に添付すべき資料を得る目的で行った各種試験において塩酸セトラキサート製剤を製造し、使用することが特許法六九条一項の試験又は研究に当たり、特許権の効力が及ばない行為であることは、前記一に判示したとおりである。したがって、被告らが右各種試験において塩酸セトラキサート製剤を製造し、使用したことは、原告の主張する「特許発明に対する法的な独占的占有権限」の侵奪に当たらない。加えて、特許権の存続期間が満了した以上、原告がもはや「特許権者」とはいえないことからすれば、特許法一〇〇条所定の差止請求権を有しないことは、右規定の文言上明らかであり、仮に原告に不当利得返還請求権として差止請求権等を認めるとすれば、特許法一〇〇条の規定の趣旨に反することとなる。

したがって、不当利得返還請求権に基づく請求も理由がない。

四  結論

以上のとおり、原告の①特許権妨害に対する妨害排除請求権に基づく差止め、廃棄、整理届の提出及び削除願の提出の請求、②不正競争防止法三条一項、二項に基づく同一の請求、③民法七〇四条に基づく同一の請求は、いずれもその余の点について判断するまでもなく理由がなく、また、被告らが本件特許権の存続期間中に行った試験のためにする本件特許発明の実施に違法性があったとの原告の主張も理由がないから、損害賠償請求も理由がない。

(裁判長裁判官髙部眞規子 裁判官榎戸道也 裁判官大西勝滋)

別紙目録〈省略〉

別紙特許公報〈省略〉

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